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三嶋柄プロジェクトって?


三嶋柄プロジェクト
私たちの住む三島は「水と緑と文化のまち」と言われ、富士山・箱根山の麓に位置し、自然に恵まれた街であるとともに、各時代時代の歴史や文化といった「日本の心」にふれられる街でもあります。

今回私たちは、故郷の先人達が残してきた文化「三嶋暦」「三島茶碗」に着目し、その文化を伝えつつ、現代風にアレンジしたものを街の活性化に役立て、かつ、全国に発信出来ないものかと考え、発足したのが「三嶋柄プロジェクト」であります。

三嶋柄ってなぁに?

三嶋柄を語る上で欠かせないのが「三嶋暦」と「三島茶碗」
この2つがルーツといっても過言ではありません。
歴史を紐解く意味でも「三嶋暦」と「三島茶碗」についてご説明致します。

三嶋暦

三嶋暦は静岡県三島市の河合家で製造・販売されていた太陰太陽暦(旧暦)の暦で、ひらがなで印刷した暦では日本で一番古いものだといわれています。

三嶋暦

江戸時代のはじめ頃が一番広く、遠江・駿河・伊豆(静岡県)、相模(神奈川県)、甲斐(山梨県)、 信濃(長野県)、武蔵(神奈川県、東京都、埼玉県の一部)、安房(千葉県の南部)などに渡り、 幕府も正式のものとしていましたが、江戸時代の終り頃には、伊豆と相模に限定されたそうです。
ちなみに朝廷では、京暦を使っていたそうです。
木版刷りの品質が良く、細字の文字模様がたいへん美しいことなどから、旅のみやげやお歳暮などとして当時人気があった様です。
しかし日本で1300年もの長い間使われて来た太陰太陽暦(旧暦)は 1872年(明治5年)12月3日、明治政府により太陽暦(新暦)が採用され、それに伴い三嶋暦もその役目を終えました。
現在は河合家の五十三代当主が会長を勤める『三嶋暦の会』が 三嶋暦の歴史を伝えるべく「三嶋暦師の館」の運営管理を行っています。
館内には三嶋暦の版木や関連資料が展示され、実際に三嶋暦の印刷を体験する 講座も開かれています。

出典:三嶋暦ホームページ http://www.geocities.jp/mishimagoyomi/

三島茶碗

三島茶碗とは、15~16世紀の朝鮮半島で焼かれた象嵌(印花)白化粧の高麗陶器のことです。
仏教を称えていた前世の高麗王朝から白を尊ぶ儒教に転換した朝鮮王朝(李朝)の初期に開花しました。
現在の韓国では粉青沙器(ふんせいさき)あるいは粉青(ふんせい=プンチョン)と呼ばれているものです。

三島茶碗

我が国には茶の湯の勃興期に当たる室町時代の末期(桃山時代)に渡来しました。
三島茶碗全体に共通する特徴は、白土で素地を化粧したもので、 象嵌、線刻、掻き落とし、刷毛目、鉄絵、粉引など多彩な技法が幾重にも多用されています。
三島茶碗の呼称の由来のうち一説には、「茶碗に施された印花文や連珠文などの象嵌文様が、三嶋大社の暦師により版行されていた三嶋暦の細かな仮名の崩し文字に似ていたことから〈暦手〉、〈三島手〉と呼ばれるようになった」と言われております。 現在は「三島茶碗文化振興会」が 三島茶碗を歴史とともに広めるべく活動をしています。

出典:「三島茶碗文化振興会」ホームページ http://www3.tokai.or.jp/mishima-chawan/

三嶋柄の誕生

今回、私たちは三島茶碗に描かれたこの文様を、抜き出してみました。


三嶋柄

右図の様に、様々な種類の文様があり、そして並べるととても綺麗なのです。

そこで私たちは、この文様を「三嶋柄」と定義し、茶碗以外への装飾にも応用しようと考えました。
ここに「三嶋柄」が誕生したのです。

私たち三嶋柄プロジェクトでは、三島茶碗から抜き出した柄に加え、三島市をモチーフにした今までに無い柄を作り、これから「三嶋柄」を全国に発信していきます!!

コラム

この柄は、製作技法や文様により様々な種類に分けることが出来ます。
しかし、そのベースにあるのは紛青紗器の 象嵌白化粧技法であり、そしてこの「三嶋柄」を語る上でもう1つ忘れることが出来ないのが、「三嶋暦」というものなのです。
ご興味のある方の為に、三嶋柄の歴史コンテンツをご用意致しました。

柄のある街、三島・・・

このコンテンツは現在掲載準備を行っております。
掲載を楽しみにお待ち下さい。

三島商工会議所 青年部 企画研修拡大委員会 三嶋柄プロジェクトは、三嶋柄を発展させます!

「三嶋柄」というもについてご理解していただけましたでしょうか?
ご興味のある方は、もっと詳細を掲載しております三嶋柄の歴史コンテンツをご覧下さい。

さて、この「三嶋柄」の現状、実は「陶磁器」にしか殆ど使われていないんです。
これはすごく勿体無いと思いませんか?
私たち「三嶋柄プロジェクト」は、この趣のある「三嶋柄」の文様を、様々な製品に使って頂こう!と考えております。

さらに、伝統的な「三嶋柄」のモチーフを現代風にアレンジ。
より三島らしさを出そうと、新しい柄の製作にも着手しております。


製作中の新・三島柄モチーフのデザイン

今年度は、こんなの作っちゃいました!


うちわ


Tシャツ

今年度、三嶋柄プロジェクトではイベント用にこんな製品を試験的に作ってみました。

あなたのお店や団体でも、オリジナル製品を作ってみませんか?


このホームページを広く知って頂く為に、こんなのも作ってみました!

三嶋柄ステッカーです。
カラフルに柄毎に色を変えたり、グラデーションしてみたりすると、随分と印象が変わって面白いと思いませんか?

三嶋柄のデータをダウンロードしてご利用いただけます。
ご使用に際し、以下のご利用規約を遵守して下さい。

三嶋柄のご利用規約 ※ 必ずお読み下さい。

規約事項①:1ラインの中に違う柄を混ぜての使用は不可。

1ライン中に使用出来る柄は1種類です。複数の柄を1ライン中に使用することは出来ません。

規約事項②:1種類での使用は不可とし、2種類以上の柄を組み合わせて使用する。

三嶋柄を使用する際には、必ず2種類以上のラインを組み合わせて使用して下さい。
単一のラインで使用することは出来ませんのでご注意下さい。

規約事項③:1つ以上のライン状に連続するパターンとする。

規約事項の①及び②を踏まえ、1つ以上のライン状に連続するパターンとして使用して下さい。着色する際にも、1ラインにつき1色です。(同色の濃淡はOK。)



三島柄のダウンロード

三島柄をダウンロード頂く為には、会員登録が必要です。
会員登録はコチラ:三島商工会議所青年部

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ダウンロードデータ

ダウンロードデータ内に含まれる三島柄は以下の通りです。

① 古典柄 ※ 三島茶碗に由来する柄

縄文
杉綾文
花文
波紋
籠目文
連珠文
華文
波状文
流文
波文

② 新柄 ※ 三島市をモチーフにした新デザイン

三嶋大社
  ・三島大社の社殿屋根のイメージです。
しゃぎり
  ・しゃぎりの太鼓と鐘を重ねています。
富士山
  ・この地ならではの宝永山をイメージしました。
かわせみ
  ・白い部分を見るとかわせみが上下に出てくるようにしました。
ホタル
  ・ホタルのしなやかさと光をイメージしています。
三島梅花藻
  ・三島梅花藻の花を中央に置き、上下に葉を繋げました。
せせらぎ
  ・漢数字の「三」によりゆるやかな水の流れを表現しました。
三四呂
 
うなぎ
 
 

1.「三嶋」という陶磁器 -豊臣秀吉との関わり-

陶磁器に「三嶋」という模様の種類があります。
先ほどご紹介させていただいた「三島茶碗」が有名です。
この陶磁器は、本来は、朝鮮半島で焼かれた高麗【こうらい】末期から李朝【りちょう】初期(14世紀から15世紀にかけて)所産の白磁以外の焼き物を総称する言葉です。
歴史的には、安土桃山時代に豊臣秀吉が朝鮮に攻め込んだ際、 茶道の趣味のあった秀吉が日本に連れて来た朝鮮の陶工の作る茶碗を指すのですが、この茶碗に施された模様、象嵌細工(表面に細かく 模様を彫って白い化粧土を刷毛で塗ったもの)がいつしか「三嶋」と呼ばれるようになりました。
その名称由来に諸説があり、その一つに、わが三島と深い関わりがあります。

2.「三嶋」と呼ばれる通説 -室町時代、朝鮮半島から伝来した文様-

室町時代末期(1550年頃)に朝鮮半島から紛青紗器(ふんせいさき)とよばれる茶碗が日本に入ってきました。この茶碗は薄ねずみ色の粘土にヘラやスタンプで文様を描いて白土で化粧をし、透明釉(とうめいゆう)をかけて焼いたものです。
こうして作られた茶碗の文様が三嶋暦の文様によく似ていたため、当時の茶道をたしなむ人たちから「三嶋手(みしまで)」、「暦手(こよみで)」と名づけられ愛用されていました。
※「三嶋暦」については、この後ご説明致します。
また、室町時代(14から15世紀)の都では、摺【す】り物の代名詞に「三嶋【みしま】」という言葉が使用されていたという説もあります。

「三島茶碗」と「三嶋暦」

上の写真で見られるような細かい文様が、右側の「三嶋暦」の見た目によく似ていると思いませんか?

3.「三嶋暦」とは? -徳川幕府により認可された、公の暦-

上記の通説にあった「三嶋暦」とは何でしょう?
太陰太陽暦(旧暦)を代表する暦のなかに「三嶋暦(みしまごよみ)」があります。

三島暦が生まれたのは、今から1200年以上昔の 奈良時代のことと思われます。
当時の暦は月の満 ち欠けをもとに作られる太陰暦で、農業にとっては とても大切なものでした。 江戸時代初期には、徳川幕府によって公式の暦とされ、関東・東海地方に広く使われていたそうです。

三嶋暦は仮名文字で印刷された暦としては、日本で一番古いものだろうといわれています。
静岡県三島市の三嶋大社の社家(しゃけ・三嶋大社の神職に従事する人々、またその住まい)である、暦師の河合家で代々発行されてきました。河合家の記録によると、770~780年(奈良時代)ごろに山城の国(現、京都府)賀茂から三島に移り住んだとありますが、確かなことはわかりません。
「三嶋暦」は、仮名文字の暦として日本で一番古いこと、木版刷りの品質が良く、細字の文字模様がたいへん美しいことなどから、旅のみやげやお歳暮などとして人気がありました。価格は慶応4年で、綴り暦(16ページ)が150文(今の価格で3,000円くらい)、一枚モノが15文(今の価格で300円くらい)でした。

4.「三島茶碗」

このように、「三嶋暦」の仮名の崩し文字に似ていることから「みしま」「こよみ」などと呼ばれたということが通説でありますが、広く一般的には「三嶋手」と呼ばれることが多くなっています。
しかし、皆さんをはじめ、「三島茶碗」に初めて触れた方々にはちょっと分かりにくい名称であることも事実です。
そこで、最近ではインターネット等の通販、または陶磁器店では「三嶋柄」と呼ばれることも多くなってきています。
このような「三島茶碗」ですが、その柄や彫り方の技法により、「礼賓三嶋」、「古三嶋」、「三作三嶋」、「彫三嶋」、「御本三嶋」などと細かく種類が分かれています。

ご興味を持った方は、調べてみると大変面白いかと思います。
また三島には、「三嶋暦師の館」を初め、「三島市郷土資料館」(楽寿園内)や「三嶋大社」(宝物館)で「三嶋暦」および「三島茶碗」にて多くの資料に触れることが出来ます。
是非、三島にお越しになられた際には、立ち寄っていただければ幸いです。